こんにちは!
Ryoです。
食にまつわるあれこれを書いています。
吉野家一号店について
市場の
築地から豊洲への移転が
いよいよ本格的に。
オオカミ少年的に
何度も何度も
先延ばしにされたけど
今度ばかりは
本当にお引越し。
でも
引っ越すのは
市場だけじゃなく、
牛丼の吉野家一号店も。
「うまい・やすい・はやい」で
とっても身近な吉野家の
歴史なんかも
調べてみました。

知らないことが
いくつもあって
ちょっとビックリ!
吉野家の歴史
まず
一番おどろいたのは
吉野家の創業が
1899年だったこと!
吉野家って
19世紀から続く
老舗(しにせ)だったんですね!
1899年って
明治32年です。
江戸時代には
ほとんどの日本人が
牛肉を食べてないので
吉野家って
日本の牛肉文化の
始まりからある!?

なんて言ったら
ちょっと言いすぎですかね!?
そして
吉野家一号店は
築地にあることにも
ビックリ。
築地にお店があることは
知ってましたが、
あそこから
始まったんだな~
っと思ったら…
ちがいました!
よく考えてみたら
100年以上も前に
築地に市場はないはず!
なので
調べました。
吉野家の創業からお店の焼失まで
吉野家の歴史を見ると
いつも魚市場といっしょでした。
創業の1899年当時、
魚市場は日本橋にあったので
吉野家は
日本橋からスタート。
魚市場で働く人や
買い物に来る人たちが
常連客。
そのころの牛丼は
高級なごちそう。
でも
1923年におきた
関東大震災で
日本橋の市場が焼けて
1926年に
市場が築地に移ると
吉野家も
築地にお引越し。
だけど
1945年の空襲で
お店が焼けてしまいます。

何度も
ゼロからのスタートだったのね!
戦後は屋台からのスタート
戦争でお店をなくしたので
戦後は屋台からのスタート
だったそうです。
今では
どこに行っても見かける
吉野家ですが、
創業から約50年間は
小さなお店が一つだけ
そして
そのお店もなくなって
屋台になったのですから
本当にふしぎです。
それでも
1947年には
築地のお店が開店。
これが2018年まで続いた
吉野家一号店です。
客席が15だけの
小さなお店で
牛丼だけを売ってた
吉野家一号店。
1950年代になっても
牛丼はまだ高級品で
うな丼と同じぐらいの
値段だったそうです。
吉野家が
2件目のお店を
新橋に出したのは
1968年。
その後は
日本だけじゃなく
外国にも
どんどんお店を出して
大きくなったんですね。
一号店の閉店と豊洲移転
卸売市場の
豊洲への移転で
吉野家一号店もお引越し。
このお店には
他では食べられない
裏メニューがあるそうで
遠くからも
お客さんがやってきたそうです。
裏メニューには
トロダク
ネギダク
などがあって
トロダクは
脂身の多い牛肉がたっぷり、
ネギダクは
玉ねぎがたっぷりだそうです。
豊洲のお店でも
裏メニューは
続けるそうなので、

ファンはひと安心?
まとめ
では
吉野家一号店の豊洲移転について
まとめますね。
築地に開店したのは
1947年だが
吉野家の創業は
それよりもずっと古く
1899年
日本橋の魚市場近くに
店を出したのが始まり。
1926年
関東大震災による
市場の築地移転に伴い
築地にて再スタート。
1945年
空襲により店を焼失し
2年後に築地にて
再々スタートした。
2018年
市場の豊洲移転に伴い
豊洲で新たなスタートを切る。
市場関係者をはじめとした
常連客への対応が
よく知られており
築地一号店の
裏メニューなどは
豊洲の新店舗でも
継続すると言われている。

こうして見ると
だいたい20年ごとに
大変だったことが
わかるわね!

そういう時期を
乗りこえてきたからこそ
「うまい・やすい・はやい」が
できてるのね!