こんにちは!
Ryoです。

2021年のノーベル賞が確実って言われてる
カタリン・カリコ博士。

ファイザーやモデルナのワクチンができたのは
カリコ博士がコツコツと研究を続けたおかげです。

生い立ちと経歴だけじゃなく
科学者になったきっかけがおもしろい

お母さんのエピソード
ご主人や娘さんについても興味深いです。

ハンガリー出国まで

カリコ博士はハンガリー出身で
30歳の時にアメリカへ渡ります。

【カリコ博士のプロフィール】

【生年月日】
1955年1月17日(67歳)

【出身地】
ハンガリー・ソルノク県

【出身校】
ハンガリー国立セゲド大学
セゲド生物学研究センター

【国籍】
ハンガリー・アメリカ(二重国籍)

【家族】
両親・姉
夫・娘(1982年生まれ)


生きもの好きだった幼少期

カリコ博士が生まれ育ったのは

ハンガリーの首都ブダペストから
電車で1時間半ほどの田舎町。

お父さんが精肉業
お母さんは事務員のカリコ家は
けっして豊かではなかったとか。

カリコ博士は
小さい時から生き物が大好きで

木に登って鳥の巣を見たり

巣の中のタマゴがヒナになって
それが成長するのを見るのが楽しくて

自分の家の庭にある鳥の巣は
毎日必ず見ていたそうです。

RyoRyo

生きものが身近にいた
田舎で育ったからこそ
興味を持てたんですね!



高校時代の愛読書が進路を決定

もともと生き物が好きだったものの
カリコ博士が将来の進路を決めたのは高校時代。

きっかけは
高校の先生がくれた一冊の本でした。

ハンガリー系カナダ人の生理学者
ハンス・セリエ(1907~1982)の書いた
ハンガリー語の本だそうです。

『私たちの生活とストレス』
または
『現代生活とストレス』のように訳される

1964年発行の
『Életünk és a stress』。

英訳やフランス語訳
もちろん和訳もありません。

カリコ博士はこの本の内容で
本をくれた先生と議論することで

自分にできることに集中して
他人を気にせずにいられる方法を学びました。

カリコ博士は科学者になってからも

何十年も人に認められず
研究費も削られたりするのに

他人に何と思われようと
ひたすら自分の研究をコツコツ続けます。

みゆみゆ

高校時代に先生に習った
「他人を気にしない方法」が
役に立ったんだね~!

カリコ博士は有名になった今でも
この先生に感謝し続けてます。

高校時代に議論してた時の先生は
スグに答えを言ったりせずに
カリコ博士にじっくり考えさせてくれたため

それがきっかけで
科学者になろうと決めたとか。

どこでもネットにつながる今とはちがって
地方にいると情報へのアクセスがない時代なので

当時のカリコ博士は
科学者に会ったことがないどころか
科学者が何をするかさえ知らず

それでも
「やりたいことをやろう」と思った
そうです。

RyoRyo

小さな社会主義国の田舎で
何もわからない状態だったなんて
今では考えられないことですね!



研究生の時からメッセンジャーRNA一筋

生物学の最優秀生徒として
高校で表彰されるほどだった
カリコ博士。

ハンガリーで一番むずかしいとされる
国立セゲド大学に進学します。

大学卒業後の1978年からは
ハンガリー科学アカデミー(学会)の
セゲド生物学研究センターに進むことに。

とても優秀なので
大学や研究所にいたほとんどの期間
国やアカデミーの奨学金をもらっています。

ところでカリコ博士は

1983年に
博士号を取得
するんだけど

大学を卒業してスグの1978年には
メッセンジャーRNAの研究を始めてるんです。

メッセンジャーRNA(mRNA)と言えば

ファイザーやモデルナのワクチンの
元になってる技術。

えへんみゆ

新型コロナワクチンって
突然できたみたいに言われてるけど
40年以上も研究してたんだね!



結婚と出産を経て出国へ

カリコ博士の結婚の時期について
詳細はわからなかったのですが

一人娘のジュジャンナさんが
1982年生まれ
なので
その前後だと思われます。

ご主人のベーラ・フランツィアさんは
エンジニア。

1983年には博士号を取得して
好きな研究を続けてたカリコ博士だけど

2年後の1985年には
失業状態に
なってしまいます。

当時のハンガリーは
社会主義の一党独裁の国。

経済が回らなくなって
外国への借金も増えてしまい

カリコ博士の研究センターも
予算が大幅カットになったんです。

カリコ博士の研究は

今でこそ世界中で命を救ってる
ものすごい技術を生み出したけど

その当時は
ハンガリーだけじゃなく
世界を見回しても地味な研究でした。

え?みゆ

だから
リストラかぁ~!

ハンガリー国内には
予算の取れる研究施設はないので
アメリカなどに行きたいけど

一党独裁の社会主義国から
ご主人と娘さんもいっしょに出国できて

必要な時には
お母さんやお姉さんのいるハンガリーに
戻って来たかったので

海外の大学から
招いてもらう必要がありました。

そんな時に招へいしてくれたのが
アメリカのテンプル大学。

夫婦と2歳の娘さんの3人で
アメリカに行くことになりました。


片道切符でアメリカへ

ほぼ失業状態になって
アメリカに行くことになった1985年。

大学に招いてもらったとは言っても
アメリカに頼れる人は誰もいません。

2歳の娘さんもいるので
少しはお金を持っていきたいけど

当時のハンガリーは
外貨の持ち出し制限が厳しくて

100ドル(現在の1万1000円ほど)しか
持って行けないことになってました。

無口みゆ

小さい子もいるのに
1万円だけ…


じゃムリなので

残りのお金は
隠して持っていくことに!

いろいろ考えたあげく

娘さんのテディベアの中に
入れたんだそうです。

カタリンカリコの生い立ちと愛読書!夫や娘の職業は?家族写真も!-4

ぬいぐるみに入れたのは
ヤミ市で車を売り払って手に入れた900ドル。

この大事なお金をビニール袋に入れて
クマちゃんの中に隠した後に

しっかり縫い付けてから
娘さんに持たせたんだそうです。

当時は携帯電話なんてないし
クレジットカードだって持ってなかったとか。

本当に全財産1000ドルだけで
「もう帰れない覚悟」でアメリカへ。

RyoRyo

ドラマになりそう~!


って思ったのは私だけじゃないらしく

すでにNetflixで
ドキュメンタリーが製作中らしいです。


バラ色じゃなかったアメリカの生活

一大決心で渡ったアメリカだったけど
移民生活は大変だった上に
研究者としても苦労の連続でした。

【カリコ博士の経歴(1985年以降)】

【1985年】
テンプル大学(研究員)

【1989年】
ペンシルベニア大学(助教授)
1990年に最初の助成金申請が却下
以降何度申請しても却下が続く

【1995年】
ペンシルベニア大学(非常勤講師へ降格)
ガンを患う

【1997年】
免疫学者ドリュー・ワイズマンとの共同研究開始

【2005年】
メッセンジャーRNAの論文発表
特許取得
ただしあまり認められず

【2013年】
ペンシルベニア大学では昇進できず
研究の質・教員としての質とも評価されず
ベンチャー企業だったビオンテック社へ

【2017年】
メッセンジャーRNAワクチン(ジカウィルス)
マウスとサルで有効

【2020年】
メッセンジャーRNAワクチン(新型コロナウィルス)
ファイザー製とモデルナ製が世界中で使用開始

【2021年】
ノーベル賞受賞?


移民のつらさを味わったテンプル大学時代

1985年と言えば
まだ世界は東西に分かれて冷戦が続いていた時期。

先が見えない不安はあっても
きゅうくつな東側の社会主義国から自由の国アメリカへ。

でも移民としての暮らしは
決してラクではありませんでした。

カリコ博士自身は
テンプル大学の招へいがあったので
研究員を続けられたけど

ハンガリーにいた時にエンジニアだった
ご主人のベーラさんはカンタンには仕事につけず
ほとんど主夫状態でした。

せっかく豊かな国に行ったのに
ハンガリーでの生活よりもさらに苦しくなります。

たとえば
ハンガリーにいた時には家に洗たく機があったのに
アメリカではコインランドリーに通うハメに。

RyoRyo

2歳の娘さんがいるんだから
大変ですよね!

仕事上でも

当時は地味な研究だと思われてる分野だったうえ
目立つ成果が出ないままでした。

それでも4年後にはとうとう
ペンシルベニア大学に助教授として迎えられました。

キラみゆ

やっと
教える立場になったんだね!



いろいろあったペンシルベニア大学時代

1989年に
晴れてペンシルベニア大学の助教授になった
カリコ博士。

それでも
メッセンジャーRNAの研究は地味で
誰にも認められない日々が続きます。

ペンシルベニア大学に移った翌年1990年に
最初の助成金申請を出すけど却下。

その後も何回となく申請するのに
毎回却下でした。

というのも
1990年から2000年代の科学の世界では
遺伝子研究がものすごいブームだった頃。

「ヒトゲノム計画」という解析プロジェクトが
1990年にアメリカで始まって

「人間の体の設計図が解読!」
な~んてニュースが飛び交ったり

1996年には
遺伝子をコピーするクローン技術を使って
人工的につくられた受精卵から
羊が生まれたりしました。

あれ?みゆ

そのうちに自分のコピーが
作られちゃうかも!


な~んて思ってた人も多かったようです。

世界中の関心がDNAに向いていて
センセーショナルに報道されて
ケタちがいな金額がつぎ込まれてた時代に

ものすごく地味なRNAの研究を続けるのは

RyoRyo

よっぽど
大変だったと思います!

でも
カリコ博士には信念があったんです。

人の設計図そのものであるDNAに
直接アクセスしたりすれば
万一の場合は取り返しがつかない。

けれども
DNAをコピーして運び出すことのできる
メッセンジャーRNAを使うことで
安全に効果的な医療が実現できるハズ。

ハンガリーにいた頃からこう考えて

助成金を断られても
目立った成果がなかなか出なくても
ガンコなまでに研究を続けました。

もっともツラかった1995年

1989年から2013年まで20年以上の間
ペンシルベニア大学で働いたカリコ博士だけど

6年目の1995年が
一番ツラかった時期でした。

これといった成果が出ず
誰にも認められない研究を続けたせいで

助教授から非常勤講師に降格になり
自分がガンになってしまった上に

ビザの関係でご主人がハンガリーから出られず
離ればなれになってしまったんです。

仕事も健康状態も最悪な時に
家族の支えも失って

無口みゆ

精神的に
おかしくなりそう…

これが普通の人だけど
カリコ博士はちがいます。

なんと
研究を続けたんです。

RyoRyo

本当に
信念の人ですよね!



共同研究者に出会った1997年

本当に大変な時期を乗り越えた
カリコ博士。

でも1997年に
免疫学者のドリュー・ワイスマンに出会います。

それまでの間は
ずっと一人で研究を続けてたのですが

ようやく
カリコ博士の信念を理解してくれて
共同研究をすることになりました。

論文発表と特許取得の2005年

共同研究になってからも
そうカンタンには進まず

望んでた実験結果が出て
論文発表ができたのは2005年でした。

カリコ博士が

共同研究を始めてから8年
ペンシルベニア大学で働き始めて16年
アメリカに移住してから20年

そして

ハンガリーで1978年に
メッセンジャーRNAの研究を始めてから

なんと
27年後の成果でした。

この成果が
新型コロナワクチンのもとなので

大げさじゃなく
世界がひっくり返るような論文発表だった…
ハズなんだけど

認める人は
ほとんどいませんでした。

特許も取得したけど
注目もされずじまい。

それでもカリコ博士は
また研究に戻りました。

かすかな光から新型コロナワクチン誕生まで

カリコ博士が
メッセンジャーRNAの研究を始めて35年。

ようやく目に見える形で
認めてくれる人が現れます。

ベンチャー企業を創業した夫婦で
カリコ博士の論文を認めた
数少ない人たちのうちの2人でした。

この夫婦は2人とも
ドイツに住むトルコ系移民。

2013年
このトルコ系移民夫妻に招かれて
カリコ博士はドイツに行きました。

でもこの当時

カリコ博士が行くことになった
この企業にはウエブサイトもなくて

ペンシルベニア大学の人たちからは
心配されたというよりは
冷ややかに笑われたようです。

おまけに

ドイツに出発する頃になっても
ペンシルベニア大学では

カリコ博士について
研究の質も教員としての質も
高くは評価してなかったから昇進できず。

えへみゆ

カリコ博士の
価値がわかる人が
いなかったんだね!



2013年ドイツのベンチャー企業へ

カリコ博士が向かった
ドイツのベンチャー企業とは

創業したばかりのビオンテック
(発音は「バイオンテック」の場合もあります)。

ファイザー製の新型コロナワクチンを
開発した企業
なので
すっかり有名になったけど

カリコ博士が招かれた2013年は
まだ小さくて誰も知らない会社でした。

ただし創業者夫婦には
「人の役に立ちたい」という気持ちがあって

カリコ博士の信念に通ずるようです。

【ビオンテック創業者夫妻のプロフィール】

夫:ウグル・サヒン博士
トルコに生まれて4歳でドイツに移住
父はトルコからの出稼ぎ労働者
ドイツにある自動車工場(フォード)で働いていた

妻:エズレム・テュレジュ博士
ドイツ生まれのトルコ系移民2世
父はトルコのイスタンブール出身の医師
ドイツでは自宅で診療所を開いていた

夫妻は2002年に結婚したものの
結婚式の当日さえも研究所に通ったとか。

ペンシルベニア大学で苦労してたカリコ博士も
朝6時には研究開始で休日返上
時には研究室に泊まることまであったそうなので

いひひみゆ

3人とも
似てるね~!



2017年メッセンジャーRNAワクチンの成功

カリコ博士と
ビオンテックの創業者夫妻は

人の役に立ちたいという気持ちが強くて
移民としての苦労をしている共通点も。

そして何より
「研究することそのものが楽しい」と感じる
一流の研究者。

結果は2017年に
ジカウィルスのワクチンとしてあらわれました。

メッセンジャーRNAワクチンが
マウスとサルに対して有効だと証明できたんです。

なおこの技術は
ビオンテックだけにとどまりません。

もう1つの新型コロナワクチンを作った
モデルナが

2018年から
インフルエンザワクチンを開発。

2019年には
人間にも使われました。

あれ?みゆ

メッセンジャーRNAワクチンって
新型コロナが最初じゃなかったんだね!



2020年新型コロナワクチン開発

2020年に新型コロナがパンデミックになったものの
スグにワクチン開発されることが報道されて

怪しまれた面もあったから
それが不信感につながって
今でも完全にはデマが消えてないようです。

でも話題にされなかっただけで

メッセンジャーRNAワクチンは
2年前からあったワケだし

フシギな手品のように見えて
仕掛けがあったなんて言うレベルじゃなく

40年以上も続けた
研究の成果があったおかげです。

そして

カリコ博士は
「私の研究で人を助けられたことが幸せ」
「科学者になれて科学者として働けて幸せ」と言ってて

生きてる限りリタイアするつもりがないそうです。

RyoRyo

さらに有名になっても
ノーベル賞をもらっても
ずっと変わらないでしょうね!



家族のエピソードなど

カリコ博士の経歴を見てくると

一人きりで研究をしていて
他人に認められない期間がほとんどです。

あまりに孤独で大変そうだけど

インタビューのやり取りや記事を見てると
気の毒な感じにならないのがフシギでした。

どうもそのカギは
家族にありそうです。

お母さんの口ぐせ

ハンガリーにいるお母さんはカリコ博士に
しょっちゅう同じ質問をしたそうです。

「あなたはいつノーベル賞をもらえるの?」
「楽しみに待ってるのよ!」
「だってあなたは本当に頑張ってるんだもの」

お母さんがこの質問を繰り返してた当時は

カリコ博士の研究は全く評価されなくて
目立った成果もあげられないでいた頃です。

なので
こう言われるたびにカリコ博士は

「科学者はみんな頑張ってるのよ」
「私だけじゃないわ」

と答えるのがお決まりだったんだとか。

残念ながらお母さんは
カリコ博士の活躍を知ることなく
2年前に亡くなったそうだけど

カリコ博士のノーベル賞受賞について
誰よりも早く語ってたのは
お母さんのようです。

娘をひいき目に見る母親という面も
もちろんあったかも知れないけど

どんなに一所懸命に頑張っても
結果が出なくて
ひとりぼっちだったカリコ博士には

自分のことを信じてくれて
大きく包んでくれるような
お母さんの愛情のこもった言葉は

RyoRyo

いろんな意味で
支えになってたでしょうね!



誰よりも理解して寄り添ってくれるご主人

ハンガリーにいた時は
エンジニアとして働いてたご主人。

くわしい生年月日などはわからないけど
カリコ博士と同年代のようなので

カリコ博士が失業同然で
アメリカに行くことになったため

一緒に行動した1985年当時は
30歳前後だったはずです。

カリコ博士は招かれたテンプル大学で
研究員として働くことができたけど

知り合いやツテのないご主人は
ほとんど主夫状態になり

2歳の娘さんのめんどうも
ほぼご主人が見てたそうです。

おまけにカリコ博士は

朝6時には出勤するだけじゃなく
休日返上もしょっちゅうなうえ

ヒドイ時には
職場に泊まって帰ってこないこともある

超ブラックな状態です。

日本人夫婦はもちろんのこと
世界的に見ても

夫婦のどちらかが働きすぎなのは
圧倒的にご主人の場合が多くて

そういうご主人に対して
奥さんがおもしろくなく思ったり
イヤミを言ってみたりするのが

どちらかというと
ふつうのハズ。

また
イヤミまでは言わなくても

ご主人の健康が心配になって
ご主人の職場のことを悪く言ったりしそうです。

でも
カリコ博士のご主人が言うのは

「あなた(カリコ博士)のは仕事じゃないね~」
「(研究は)あなたの楽しみだよね~」

なんだとか。

あまりに頑張りすぎて
実際にガンにまでなったカリコ博士に

こんな言葉をかけてあげられるのは
よっぽど理解をしている証拠。

エンジニアの仕事を捨ててまで
外国で移民として暮らすことを受け入れ

自分のキャリアは犠牲にして
娘さんの世話を引き受けたご主人。

わおみゆ

ご主人もエライな~!



お母さんより先に有名人になった娘さん

ところで

カリコ博士の一人娘のジュジャンナ・フランツィアさんは
1982年生まれの38歳(2021年8月現在)。

実は

お母さんのカリコ博士より
娘さんのジュジャンナさんの方が
先に有名になってます。

ジュジャンナさんは
オリンピックの金メダリストなんです。

それも

2008年の北京大会と
2012年のロンドン大会の2回!

ボート競技の選手です。

国籍はお母さんのカリコ博士と同じく
ハンガリーとアメリカの二重国籍だけど

競技者としては
アメリカの選手として出場してます。

なお

オリンピックのほかにも
ボート競技の世界大会で

2006年から2011年までの間に
金メダル5個と
銅メダル1個という成績です。

恵まれた体格で
身長は188cm!

2012年のロンドン大会の時の家族写真が
カリコ博士のFacebookに出ています。

カタリンカリコの生い立ちと愛読書!夫や娘の職業は?家族写真も!-3

RyoRyo

ステキな
ご家族ですよね~!