こんにちは!
Ryoです。

世界的デザイナーで
ブランド「KENZO」創始者の

高田賢三さんが
サギ容疑で
韓国企業に告訴されたとか!

気になったので
調べてみました。

高田賢三さんとは

【高田賢三さんの略歴】

1939年2月27日
兵庫県姫路市生まれ。

1958年に共学になった
文化服装学院の師範科入学。

1961年に第8回装苑賞を
同学院在学中に受賞。

1965年にフランスへ渡る。

1970年パリ2区にブティック
『ジャングル・ジャップ』をオープン。

1973年『KENZO』の名で
パリ・プレタポルテ デビュー。

1984年フランス芸術文化勲章(シュヴァリエ位)受章
1998年フランス芸術文化勲章(コマンドゥール位)受章
1999年ニューヨークでタイム・フォー・ピース・アワード(ファッション部門)受賞
1999年5月、紫綬褒章受章。


文化服装学院入学まで

高田賢三さんの実家は
兵庫県姫路市の
「浪速楼」という旅館だそうです。

賢三さんは三男で
お兄さん2人
お姉さん2人
弟さん1人
妹さん1人という

大家族だそうです。

お兄さん2人とは
年が離れていたので

4つ上と2つ上の
お姉さんたち2人と
よく遊んだんだとか。

お姉さんたちは
洋裁の勉強をしてて

ファッション誌などを
見て育ったそうです。

賢三少年は
ファッションに
とっても興味があったけど

当時の洋裁学校と言えば
女の子たちの花嫁修業用。

男子は入れないので
仕方なく大学へ。

神戸外国語大学の
英米学科に入ったそうですが

在学中に
東京の文化服装学院が
共学になったので

大学を中退して
入学したそうです。


フランス・パリへ

文化服装学院では
男子一期生として入学したけど

この時の同期が
すごいメンバーです。

コシノジュンコや
ニコルの松田光弘に
ピンクハウスの金子功など。

わおみゆ

日本のファッションを
世界に認めさせた人たちが

同じ学校の同期だったなんて
すごいね!

高田賢三さんは
昼間は働いて
学校へ行ってたのは夜。

大変な努力をして

新人デザイナーの
登竜門と言われる装苑賞を
在学中に受賞してます。

卒業後は就職したけど
その時に住んでた建物が
取り壊されることになって

まとまったお金を
もらったそうです。

RyoRyo

当時の東京は
オリンピックのために
いろんな工事があったとか。

そのうちの
1つだったんでしょうね。


そして

お金をもらったことが
パリへ行くきっかけになりました。

1964年11月30日に
船に乗って

ベトナムやシンガポール
中東やアフリカを通って
パリへ着きました。

1ヶ月の船旅のあいだ
いくつもの港に
泊まって集めた絵葉書が

25歳だった高田賢三さんの
その後の仕事に
役に立ったんだそうです。


パリでの成功と結婚?

高田賢三さんは

1965年はじめに
フランス・パリに到着。

1970年にはパリ2区に
ブティック
『ジャングル・ジャップ』を
オープンするのですが

このブティックが
後の『KENZO』に。

また

1973年『KENZO』の名で
パリ・プレタポルテ
デビューを果たします。

みゆみゆ

まるで
トントン拍子だね!


高田賢三さんの成功は

雑誌『ELLE』の
編集長に認められて
表紙の写真に
洋服が使われたことと

文字通り公私にわたる
パートナーに会えたことが
大きかったようです。

高田賢三さんの服は

船旅でいろんなところへ行った時の
インスピレーションと

日本の和服をミックスさせてて

ヨーロッパになかった
新しいものだったので

とっても評判になったそうです。

そして
パートナーの存在も!

パートナーについて

高田賢三さんは
結婚してないし
子どももいないけど

フランス人の男性と
いっしょに暮らしてました。

そのひとは元貴族で
建築にとってもくわしくて

日本建築のことまで知ってて
すぐに気が合ったそうです。

服作りからビジネスまで
アドバイスしてくれて

遠い日本から来た
高田賢三さんには

頼りがいのある
パートナーだったようです。

2人でビジネスを成功させて
大きな家を建てて

いっしょに暮らして
幸せだったようですが

1990年に
パートナーの男性が亡くなりました。


『KENZO』の売却と引退

パートナーの男性が
亡くなったのは1990年で

高田賢三さんが51歳のころ。

まだまだ働き盛りなのに

1993年には
『KENZO』ブランドを
売ってしまいます。

買ったのはLVMH。

ルイ・ヴィトンなどの
有名ブランドを
たくさん持ってる会社です。

高田賢三さんは

パートナーの男性を
1990年に亡くし

右腕だったパタンナーの
日本人女性が
1991年に病気で倒れます。

そして1991年には
お母さんも亡くなるのです。

無口みゆ

だいじな人が3人も
いなくなっちゃったんだね!


1999年には
引退もしています。


最近の高田賢三さん

1999年には
引退宣言もした
高田賢三さんですが

2003年には
独立したデザイナーとして復活。

ところが

2004年に立ち上げた
新しいブランドがうまくいかず

2007年に倒産して
自宅を売ることになり

大変だったようです。

その後は
あまり目立った情報が
なかったのですが

2016年には
セブン&アイ・ホールディングスの
PBブランドを手がけたり

自伝を出したりしてます。

2018年9月には
テレビ出演をして

よかったことも
大変だったことも話してます。

2019年2月には
80歳になる高田賢三さん。

RyoRyo

「自分の失敗を
若い人に役立ててほしい」と
言ってる姿がステキでした!



まとめ

では
高田賢三さんについて
まとめますね。

世界的なファッションブランド
『KENZO』の創始者である
高田賢三さんは

1939年生まれで
兵庫県姫路市出身。

実家は旅館で
大家族だった。

歳の近い姉2人の影響で
早くから洋裁に興味を持ったが

当時は洋裁学校に
男子が入れなかったために
一度は大学へ行ったが

共学になった文化服装学院に
男子一期生として入学。

在学中に装苑賞を受賞後
フランス・パリに渡る。

1970年にパリにブティックを開き
1973年に『KENZO』の名でプレタポルテデビュー。

フランス人男性が
公私とものパートナーだったが
1990年に亡くなり

1993年には
『KENZO』ブランドを売却。

1999年に一度引退後
2003年に活動再開したが

新しいブランドがうまくいかず
2007年に倒産するなど

長期間にわたって
苦労が続いていた。

近年は
セブン&アイの
PBブランドを手がけるなど

デザイナーとして
復活するとともに

自伝の執筆や
テレビ出演なども
おこなっている。

RyoRyo

天才とはいえ
努力を続けて成功したり

長い人生のあいだには
失敗もしたり…。

ファッション界を
切り開いてきたパイオニアだから
苦労も多いけど

失敗したことを話せるのは
ステキだと思いました!